父から息子へ。
「技術承継の軌跡に迫る」

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 金属を削り続ける音がひっきりなしに聞こえる。機械がところ狭しと並んでいる工場をのぞくと、いつも、背中が見える。株式会社DG TAKANOの代表高野の父、善行さんだ。

現在はDG TAKANOの製造メンバーに、機械や切削スキルを教えているが、DG TAKANOが出来るまではずっと、「高野精工社」で、日本全国のトップシェアを誇るガスコックをつくり続けてきた。先代の父から受け継いだガスコックだ。

父は、生粋の職人。

 「僕が高野精工社を継いだのは、22、3歳のとき。昔は『ろくろ』で品物をつくっていました。
こけしの人形をつくるみたいに。パイプを握って、右足と左足で交互に踏んで金属を削っていました。」
今でこそ、コンピュータやプログラミングで精密さを極め、いろんな製品が機械でつくれるが、
善行さんが家業を継いだ時代には、機械なんて無い。ガスコックも、ぜんぶ手づくり。

 ガスコックは、2/1000mmの誤差でもガスが漏れて爆発してしまう可能性がある、きわめて精密な製品だ。
いろんな金属加工製品があるが、ガスコックは誰にでもつくれる製品ではない。職人の経験と技がものをいう。
「昔はガスコックをつくっているところがたくさんありました。でも、みんな辞めていきました。
ガスが漏れて爆発したら、怖いから。継いだ時なんて、僕もまだ若くって、思うような製品は
つくれなかったですよ。ガス漏れするコックは、注文が来てても出せないですからね。」

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 二十代前半で家業を継ぎ、それからガスコックづくりに奔走してきた。ひたむきに、漏れないガスコックづくりに励んだ。その性能の高さはお客さんからもお墨付き。「高野さんとこのガスコック」として定評が広まり、利用者が新しい利用者を呼んだ。たちまちシェアは拡大し、日本で使われる半分以上のガスコックは、高野精工社製になったという。
 三重県桑野に多くのお客さんをかかえていたため、東大阪から桑野まで営業と集金に行っていたある日、一人のお客さんから「桑野のガスコックの9割は、高野精工社製ですね」と聞いた。そこではじめて、自分がつくったガスコックが、そんなにたくさん使われていたのか、と知ったそう。

「良いものつくったら、お客さんは買ってくれる。」

 「僕が高野精工社を継いだのは、22、3歳のとき。
昔は『ろくろ』で品物をつくっていました。こけしの人形をつくるみたいに。パイプを握って、右足と左足で交互に踏んで金属を削っていました。」
今でこそ、コンピュータやプログラミングで精密さを極め、いろんな製品が機械でつくれるが、善行さんが家業を継いだ時代には、機械なんて無い。ガスコックも、ぜんぶ手づくり。

 ガスコックは、2/1000mmの誤差でもガスが漏れて爆発してしまう可能性がある、きわめて精密な製品だ。いろんな金属加工製品があるが、ガスコックは誰にでもつくれる製品ではない。職人の経験と技がものをいう。

「昔はガスコックをつくっているところがたくさんありました。でも、みんな辞めていきました。ガスが漏れて爆発したら、怖いから。継いだ時なんて、僕もまだ若くって、思うような製品はつくれなかったですよ。ガス漏れするコックは、注文が来てても出せないですからね。」

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 二十代前半で家業を継ぎ、それからガスコックづくりに奔走してきた。ひたむきに、漏れないガスコックづくりに励んだ。その性能の高さはお客さんからもお墨付き。「高野さんとこのガスコック」として定評が広まり、利用者が新しい利用者を呼んだ。たちまちシェアは拡大し、日本で使われる半分以上のガスコックは、高野精工社製になったという。
三重県桑野に多くのお客さんをかかえていたため、東大阪から桑野まで営業と集金に行っていたある日、一人のお客さんから「桑野のガスコックの9割は、高野精工社製ですね」と聞いた。そこではじめて、自分がつくったガスコックが、そんなにたくさん使われていたのか、と知ったそう。

「良いものつくったら、お客さんは買ってくれる。」

小さな町工場に、最先端の機械。

 高野精工社で働くのは、善行さんとパート従業員の数名。従業員の負担を軽くするために、すべて手作業だった生産を自動化しようとした。そこでNC旋盤という最先端の機械が小さな町工場に入ることになった。
 当時最先端の機械を導入した最初の1週間は、機械メーカーの社員が機械の使い方を指導をしに来た。しかし、彼らが帰ってからというもの、機械の動かし方がさっぱりわからない。
「機械が動かないことには、うちの会社がつぶれてしまうから、必死でした。機械が入ってから半年間は、布団で寝たことが無かったですね。」

機械を動かすために起きている間はずっと機械の前に立ち、仕事もこなした。「もうだめだ」と思ったらイスで寝て、目が覚めたら機械をまたいじった。
 そうして1年経ったころ、かつて機械の動かし方を教えに来た機械メーカーの社員が訪ねてきた。善行さんが1年間で完成させた品物を見せたら「これは、3年分の仕事だ」と、メーカーの人はつぶやいた。

父から、息子へ。

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 「まだ息子が起業して間もないころに、営業でいろんなところに回ってたんです。その時に、お客さんから『これと同じモノつくれるところ無いかな?』と聞かれたらしくって。」

 善行さんのもとに、お客さんが製造を依頼した「モノ」が届いた。図面もなにも無かったが、工場にあった小さな機械やボール盤を使って、1週間同じモノを完成させ、お客さんのもとへ持っていった。すると、『図面がないまま話しただけなのに、1週間でモノが出てきた!』とびっくり仰天されたそう。

「それならもっとええもんつくったろ!ということで出来たのが、Bubble90のはじまりですね。」

Bubble90開発スタート。

 「たまたま空いていた最新の工作機械を使ってみようかと機械メーカーに問い合わせたら、絶対無理という返事。『素人では3年かけても使えるようにならない。その機械メーカーに住み込みで1年間勉強するなら、使えるようにして帰します』と言われました。そんなことをやっている場合じゃないと。」
Bubble90の開発当時、現DG TAKANO代表の高野は、機械の使い方はまったく知らなかった。
しかし、本当にいいモノをつくりたい、という一心で、さわったこともない機械に向き合って、開発を始めた。

「X, Y, Zと主軸だけ息子に教えたら、勝手に説明書見ながら、すぐに機械を動かすようになりましたよ。
1ヶ月くらいたったら、もう品物ができていましたね。」

 高野は機械をさわりはじめてからわずか半年で、Bubble90の原型を開発。しかしその後「どんな水質のところでも使ってもらえる、詰まらない製品づくり」のために、2ヶ月間考えることだけに時間が費やされた。一日中、目覚めた瞬間から、眠りにつくまで、生活の中で常に「詰まらない方法」を考え続けた。「”超”ものづくり部品大賞」で大賞を受賞したのは、そのわずか半年後のこと。

 職人である父の「匠」としてのノウハウを受け継ぎ、発想力を駆使し、NC旋盤加工機にプログラミングする力を独学で得た高野が開発したBubble90は、いまも日本、そして世界へと広がり続ける。この小さなノズルの中には、50年以上受け継がれてきた技術がつまっている。